J’essaye, j’essaye - Orelsan feat. Janine 歌詞和訳

 

youtu.be

 

初学者の訳なのであまり信用なりません。自分にはこうとしか訳せないけど、どう見ても繋がりが悪いところがいくつもある……
間違いの指摘や改善についてのコメント等大歓迎です。

 

[Orelsan] 
Hier et demain sont la même journée, la boucle est bouclée 
Rappelle moi d’arrêter la musique avant d'aller me coucher 
Je mets 6 mois pour écrire des couplets qu'personne va écouter 
La seule personne qui crie mon nom c'est mon père quand j'suis bourré 

昨日も明日も変わらない一日だ、同じことの繰り返し
寝る前に音楽止めろって思い出させて
誰も聞かないラップ書くのに六ヶ月もかけてる
俺の名前を叫ぶ人は父さんだけ、俺が酔っ払ってるときだ

Cigarette sur cigarette dans une bouteille sans fond je fais pas de nouvelle chanson 
On fais des tours de périf', des tours en ville, des tours à la FNAC 
En bref on tourne en rond 
J'attends un signe extraterrestre, j'attends qu'on vienne me dire : 
"Toute ta vie n'est qu'un grand mensonge"
Pendant qu'mon patron m'pousse à souiller tous mes principes 
Mais c'est mon job, j'passe l'éponge 
底のない瓶の中に煙草、また煙草 新曲はできない
環状道路に出たり、市内歩いたり、FNAC行ったり、俺らは要するになーんにも進んでないんだ
宇宙からの合図を待ってる、誰かが俺に言ってくれるのを待ってる
「あんたの人生全部、大きな嘘なんだ」
上司が俺の主義信条全部に唾吐くようしむけてきても
仕事だから水に流すよ

Et on s'détruit la santé pour se sentir en vie 
J'suis moins petit, j'suis plus vieux 
Mais j'ai jamais grandi 
La plupart des choses dont rêvent les gens d'ici m'feraient mourir d'ennui 
La plupart des choses dont rêvent les gens d'ici m'feraient mourir d'ennui 
生きてるって実感するためにわざと不健康なことするんだ
俺はだんだん小さい子供じゃなくなって、だんだん年老いて
でも全然大人にはなってない
周りの人の夢はどれもこれも退屈で死にそうなものばっかりだよ

[Jeannine] *サビ
J'essaye, j'essaye, de faire de mon mieux 
Et je m'ennuie quand tout devient sérieux 
En partant je leur dis droit dans les yeux 
J'aurais dû faire un peu mieux 
J'essaye, j'essaye... 
J'essaye, j'essaye de faire de mon mieux 
やってみる、やってみるよ、全力尽くしてみるよ
でも全部雲行きが怪しくなったらうんざりだ
出てくときには目をまっすぐ見て言うんだ
「もう少し上手くやるべきだった」
やってみる、やってみるよ、全力尽くしてみるよ

[Orelsan] 
Quand j'étais plus jeune j'avais des rêves, maintenant j'ai des regrets 
Contrairement aux vieilles bourges de ma ville, je serais peut-être jamais refait 
Je m'ennui tellement je matte la barre de téléchargement défiler 
Des fois je sors dans des boites pourries où je rêve de tabasser le DJ 
若かった頃は夢があった、今は後悔がある
俺の街のブルジョワの婆さんたちとは違って、多分、俺は絶対に作り替えられやしない
ほんとに飽き飽きだ、ダウンロードバーが進むのを見る
ときどきそこのDJをブチのめす妄想をするクラブに出かける

Si j'écrivais des chansons d'amour, ce serait pour dire qu'il n'existe pas 
Je fais semblant d'écouter personne, mais c'est seulement parce que j'ai peur de ce qu'ils disent de moi 
Tout le monde me dit que finirai par changer, j'ai du mal à comprendre comment ils peuvent y croire 
Alors que je suis même pas capable de changer une ampoule, ça fait 6 mois que j'pisse dans le noir 
もし俺が愛の歌を書いたら、愛なんて存在しないって説くためのものになるだろうね
俺は誰の言うことも聞かない、でもそれは人が俺のことなんて言ってるかが怖いからってだけ
みんな俺のこといつか変わるよって言うが、どうしてみんながそんなふうに思えるのか、なかなかわからない
電球を変えることすらできずに暗闇でおしっこしてもう6ヶ月たったよ

J'ai les fantasmes d'un ado et l'aigreur d'un p'tit vieux 
Tout ce que je voudrais, c'est trouver un juste milieu 
Je mens surtout à moi-même quand je répète que j'essaye, que j'essaye de faire de mon mieux 
Je mens surtout à moi-même quand je répète que j'essaye, que j'essaye de faire de mon mieux 
思春期みたいに夢想してるしジイさんみたいに刺々しい
俺が望むことの全ては、ちゃんとバランス取るってことだ
俺は嘘ついてる、誰よりも自分自身に 「やってみる」とか「全力尽くしてみる」って何度も言うとき

[Jeannine] *サビ繰り返し
J'essaye, j'essaye, de faire de mon mieux 
Et je m'ennuie quand tout devient sérieux 
En partant je leur dis droit dans les yeux 
J'aurais dû faire un peu mieux 
J'essaye, j'essaye... 
J'essaye, j'essaye de faire de mon mieux 

 

Si on a tous une place, tous un rang 
J'ai pas dû recevoir leur putain de plan 
Allez leur dire que c'est plus marrant 
J'aimerai bien comprendre le truc maintenant 
C'était censé durer juste un temps 
Bientôt dix piges que j'ai plus vingt ans 
もし俺ら全員に居場所があって、全員に地位があったなら
俺は奴らのクソみたいな計画を受け入れないだろう
もう面白くもなんともないぜって奴らに言えよ
今はからくりを知りたいよ
続くのは少しだけってことだったけど
俺が20になってからもうすぐ10年だよ

[Jeannine] *サビ繰り返し
J'essaye, j'essaye, de faire de mon mieux 
Et je m'ennuie quand tout devient sérieux 
En partant je leur dis droit dans les yeux 
J'aurais dû faire un peu mieux 
J'essaye, j'essaye... 
J'essaye, j'essaye de faire de mon mieux



www.youtube.com

↑このライブ映像の最初のサビのとこで、Orelsanが「(今)歌ってるの俺のおばあちゃんだぜ!」って叫ぶの、いい

 

Minecraftの進捗を仏語/英語版で見てみる

Minecraftという有名なゲームがあります。

自由度の高い動的なレゴというか、レゴブロックの組み合わせで道具を作れたり、ブロックでできた世界を探検できたりするゲームで、半年前くらいから少し遊んだりいろいろ実況を見たりしています。
自分はゲームのプレイについてはネザー入って生還するのも難しいレベルで、ボスであるエンダードラゴンを倒すなんて夢の夢というくらいなのですが、自由度の高いこのゲームの実況は結構面白いものが多く、いろいろ見ているうちに生半可な知識だけ溜まってしまいました。

ゲーム内には、冒険しながらいろんなことをするうちに達成されていく「進捗」というものがあります。実績解除のメダルみたいなものです。例えば石掘ったら「石器時代」という進捗が達成されますし、エンダードラゴンを倒したら「エンドの解放」が達成されます。これが全部で109個あるらしい。これの全解除を目指している人もそこそこいるらしいですが。

 

ゲーム内でアイコンとして表示される「進捗」のツリー

で、この「進捗」のフランス語版と英語版の表記を日本語版と対照したら結構楽しかったので、面白いものだけメモ的に書き残してみます。進捗のタブ「マインクラフト」「ネザー」「エンド」「冒険」に沿って一応目次を付けました。

各言語は以下のページを参照しています。

Progrès – Le Minecraft Wiki

進捗 - Minecraft Wiki

表現など自分ができる範囲で調べていますが、初学者なので、気になる部分があればお気軽に指摘してくださると幸いです。

 

Minecraft

  • 金属を手に入れる<鉄インゴットを入手する>
    仏 : L'âge du fer  / 英 : Acquire Hardware

    仏語版は「鉄器時代」。石ツールを作ったときの「石器時代」(これは日英仏共通)と対応していていい感じ。日本語版は英語版の直訳っぽい。これに限らず他の進捗も基本的に英語版に準拠しているっぽい感じだった。

  • ホットスタッフ<マグマ入りバケツを作る>
    仏 : Chaud devant !  / 英 : Hot Stuff

    日本語版が英語版をカタカナにしただけでよくわかんないやつ。"Hot Stuff"はスラングで"魅力的でセクシーな人、好色な人"みたいな意味らしい。仏語版 "Chaud devant ! "はレストランで熱いもの運んでるウェイターさんが注意喚起のためにいう言葉らしい。熱いの通りますよ~!みたいな感じ?Wiktionaryにはこれを英語にすると"Hot stuff coming through"になると書いてある。英語版はスラングではない文字通りの意味で使える場合もあるのでしょうか。

  • さらなる深みへ<ネザーに行く>
    仏 : Aller au fond des choses  / 英 : We Need to Go Deeper

    仏語版は成句で「より深く、徹底的に物事を究明する」みたいな意味っぽい。

  • エンチャントの使い手 <アイテムにエンチャントを行う>
    仏 : Enchanté !  / 英 : Enchanter

    良い〜 Enchanté ! は誰もが最初に習う挨拶の一つ「はじめまして!」だけど、enchanté(e) 自体は「とてもうれしい」「魔法にかけられた」などの意味で普通に使われる語で、例えばMozartの魔笛はLa Flûte enchantéeという。

  • アイ・スパイ<エンド要塞に入る>
    仏 : À suivre...  / 英 : Eye Spy

    英語版が好き。と言っても語の広がりをとらえきれている気はしないのだが、I spy で多分「見つけた」みたいな意味だよね?絵本ミッケ!の原題だし。なのでエンダーアイ=Eyeをいくつも投げ、飛んでいく方向に向かって1000マスとか進んで、地下に向かって深く深く掘って、ようやく要塞を見つけたときに出る進捗の名前としてはかなりアツいと思う。……が、因果が逆なのではないかという気もしてきた。むしろこの言葉遊びから、製作者は要塞を見つけるアイテムをEyeにしたのではないか?エンダーアイが眼である必然性はゲーム内のどこにもないわけだし。
    ちなみに子供の遊びでI spy gameというものがあるらしい。人が見ているものを、その頭文字だけをヒントに当てるやつ。あと余談だがEye spyと名付けられたものはほかにもいろいろあるようだ。
    仏語版À suivre...は「つづく(To be continued...)」の意味。suivreの語にエンダーアイのあとを追いかけていくニュアンスも含まれている気がする。


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    ↑雪山でヤギ二頭と見つめあった。このゲームは本当になんでもできる


ネザー Nether

  • 兵どもが夢の跡 <砦の遺跡(廃要塞)に入る>
    仏 : Le bon vieux temps  / 英 : Those Were the Days

    仏語版は「古きよき時代」。英語版も「あのころはよかった……(Those were the good old daysの略で)」みたいな意味のようでだいたい同じような感じ。芭蕉を引いた日本語版が輝いている。

  • 玉ねぎを切っているのは誰?<泣く黒曜石を手に入れる>
    仏 : Qui a coupé un oignon ? / 英 : Who Is Cutting Onions?

    英語では現在進行形なのに対し仏語では複合過去。調べる限り複合過去は過去か現在完了的な用法しかないはずで、「玉ねぎを切ったのは誰?」になるのだが……なんでわざわざ変えた?
    玉ねぎの単複も違うけど調べてもニュアンスの違いはわかんなかった。どっちのほうが自然とかあるのかな。

  • 足のついたボート <ストライダーに乗る>
    仏 : Bateau sur pattes / 英 : This Boat Has Legs

    常にお腹を空かせている人のことをestomac sur pattes(直訳:足の上の胃)って言うらしい。あとMarcher sur trois pattesで「機械がうまく作動しない」という意味の表現がロベールに載っていた。仏語だと歩くものは「足の上で」(「足の上に」?)運ばれているイメージがあるのかも。とするとマグマの中を歩くストライダーを「足の上のボート」と例えるのもちょっとわかる。

  • ブタ戦争 <砦の遺跡(廃要塞)のチェストを開ける>
    仏 : De vraies têtes de cochon / 英 : War Pigs

    tête de cochon(直訳:ブタの頭)で「石頭/頑固者」の意味らしいので、「ホンモノの石頭たち」って感じなのかな?まさにピグリンという感じでいい。英語版はブタ戦争というより戦争ブタっぽい。

  • この道をずっとゆけば <ロードストーンにコンパスを使用する>
    仏 : Le Petit Poucet / 英 : Country Lode, Take Me Home

    <ロードストーンにコンパスを使用する>←何をしてるのか何もわからん。調べたらロードストーンlodestoneはコンパスが指し示す場所を設定できるアイテムらしい。
    英語版はCountry Roadsのサビの歌詞。
    仏語版Le Petit Poucetはおとぎ話らしい。あらすじとしては、木こりの両親に、経済的な事情から森に捨てられてしまった七人兄弟が人食い鬼のいる家に泊まることになってしまうが、小さな末っ子Le Petit Poucetがどうにか機転をきかせてなんかうまいこと親の元に戻るという話。終盤、末っ子が鬼の魔法のブーツBottes de sept lieuesを盗み、鬼の家を目指してぐんぐん走るシーンがあるからそこから来てるのかな。あんましっくりくる感じはしないけど……

  • 不気味で怖いスケルトン <ウィザースケルトンの頭蓋骨を手に入れる>
    仏 : Qu'on lui coupe la tête !  / 英 : Spooky Scary Skeleton

    仏語版は不思議の国のアリスのハートの女王のセリフ「首を刎ねよ!」。英語版は韻踏んでて口に出して言いたくなる感じ。なんかそういうミュージカルがあるっぽい。曲に合わせてマイクラのスケルトンが踊る動画がミームになったとかなんとか。この動画は2015年でウィザスケの追加は2012年らしいけどどっちが先なんですかね。この動画に出てるの全部スケルトンだよね?

    youtu.be

  • ホットな観光地 <ネザーのバイオームを5種類踏破する>
    仏 : Voyage au bout de l'enfer  / 英 : Hot Tourist Destinations

    仏語版は「地獄の果て旅行」みたいな感じで良いのだろうか。ヴェルヌの「地底旅行」の原題が "Voyage au centre de la terre" だけど参照されてるのか?

  • 荒が丘<ウィザーを召喚する>
    仏 : Les Witherables  / 英 : Withering Heights

    英語の元ネタは「嵐が丘」"Wuthering Heights" だけど、それに乗っかってか仏語は "Les Misérables" をもじっている。日本語版は何をしてるんだ?あれがおか?

エンド L'End

  • 口臭に気をつけよう <瓶にエンドラの息を集める>
    仏 : À bout de souffle  / 英 : You Need a Mint

    仏語「息を切らせて」。同名のゴダールの映画(邦題:勝手にしやがれ)があるが関係なさそう。英語版は辛辣。確かにでかいドラゴンの息がいい香りだった展開見たことないけど……
    エンドシティ、一回行ってみたいな~

    youtu.be

     

冒険 Aventure

  • 良い取引だ!<村人と取引をする>
    仏 : Adjugé, vendu !  / 英 : What a Deal!

    Adjugé, vendu ! はオークションで落札・売却がされたときにかけられるセリフのようです。

  • おニューの衣装<鍛冶型で防具に模様をつける>
    仏 : Motif de jalousie  / 英 : Crafting a New Look

    "motifs de fleurs"で「花模様」らしいから「嫉妬の模様」??わかんね~ jalousieはアメリカナデシコ(Dianthus barbatus)の別名でもあるらしい。知らんて

  • おてんば<クロスボウを撃つ>
    仏 : La vieille Bertha  / 英 : Ol' Betsy

    英語版も仏語版も名前ググると戦車が出てくる。「おてんば」どころではない。

  • もったいぶった一言<トライデントを投げてモブに命中させる>
    仏 : Une blague tombée à l'eau  / 英 : A Throwaway Joke

    仏語版は「すべったジョーク」みたいな感じっぽい。直訳「水に落ちたジョーク」なので水中ゾンビであるドラウンドが持ってるトライデントと上手く噛み合ってる。英語版は状況とは関係なく捨て台詞的に言われるジョークのことらしい(throwaway lineとも)けど、例見つけられなかったのであんま具体的にわからなかった。

 

 

とりあえず気になったところは以上で全部です。普通に勉強になるし面白かったのでまたなんか別のコンテンツでもこういうのやりたい。

 

 

Jour meilleur - Orelsan 歌詞和訳

youtu.be

 

ここ一年くらいよく聞いている曲の歌詞の和訳を試みました。

既に素晴らしい先人の訳(↓リンク参照)があります。曲に興味を持った方はぜひこちらを見てください。何十年もフランスで暮らしていらっしゃる方の訳で、初学者の自分のものよりも確実に正確で、こなれています。

pepecastor.blogspot.com

 

Q.じゃあなんでわざわざ訳作ったの? →A.好きな曲だから……

訳を作り終えたあとに一応上の訳とか英訳とかと比べて検討をしてますが、間違いや気になる点があればぜひ教えてください。

 

Laisse-moi t'dire deux, trois conneries, avant que t'en fasses une
Le problème de la vie c'est qu'y en a qu'une
On soignera jamais la dépression comme on soigne un rhume
Mais dis-toi que tu pourras compter sur moi le temps qu'ça dure
Allergique à la vie, les matins sont obscurs
Quand tout a un arrière goût d'déjà vu
Les nuits sont mortes, tout le monde t'a abandonné, même la lune
Mais la fin du désert se cache peut-être derrière chaque dune

しょうもないことを二、三言わせてくれ、きみがしょうもないことをやらかす前に
人生の問題はそれが一つしかないってことだ
鬱を風邪みたいに治してしまうことは決してできないけど
そいつが続いてるときは僕に頼れるってこと覚えておいて
人生に心底嫌気がさして、朝は暗くて、
全てが新鮮に感じられなくなったとき、
夜は死んでしまって、皆がきみを見捨てた、月でさえも
でも砂漠の終わりはどの砂丘の後ろにも隠れてるかもしれない

 

Tout va s'arranger, c'est faux, je sais qu'tu sais
Des fois j'saurai plus trop quoi dire, mais j'pourrai toujours écouter
Tout va pas changer, enfin, sauf si tu l'fais
Quand t'as l'désert à traverser, il y a rien à faire, sauf d'avancer
Rien à faire, sauf d'avancer

全部うまくいくよ、ってのは嘘だ きみは知ってるよね
ときどきなんて言ったらいいかわからないこともあるけど、でもいつでも聞くことはできるよ
何も変わらない、そう、きみが動かない限りは
砂漠を横切らないといけないときはとにかく前に進むしかない
とにかく前に進むしかないんだ

 

On en rira quand on l' verra sous un jour meilleur
Jour meilleur, jour meilleur
On en rira quand on l' verra sous un jour meilleur
Jour meilleur, jour meilleur, jour meilleur

よりよい日が来たら、そのときには今のことを笑えるだろう
よりよい日、よりよい日が来たら……

 

Comme dans toutes les chansons d'variét' où toutes les meufs sont parties
Comme dans tous les morceaux de rap où tous tes potes t'ont trahi
Des fois t'as besoin de soutien, des fois t'as b'soin d'un ami
Des fois t'as b'soin d'avoir la haine, des fois t'as b'soin d'un ennemi

流行りの曲によく歌われてるみたいに女の子はみんな離れてったし
ラップの歌詞によくあるみたいに友人はみんなきみを裏切った
ときどききみには味方が必要で、ときどき友達が必要で
ときどききみはめちゃくちゃ怒る必要があるし、ときどき敵が必要だ

 

En vrai, tu peux pas tout contrôler faut que tu l'acceptes
Être heureux, c'est comme le reste, faut d'abord apprendre à l'être, je sais
Tu vas t'coucher en disant demain j'le fais
tu t'réveilles en disant demain j'le fais, mon ami

実際きみは全てをコントロールすることはできない、それを受け入れなきゃ
幸せになるのはまたあとのことだ、まずは幸せになるってのがどういうことなのか学ばないと
分かるよ、きみは「明日やるよ」って言いながら寝る
それで「明日やるよ」って言いながら起きるんだ、友よ

[以下繰り返し]

Laisse-moi t'dire deux trois conneries, avant que t'en fasses une
Le problème de la vie c'est qu'y en a qu'une
On soignera jamais la dépression comme on soigne un rhume
Mais dis-toi que tu pourras compter sur moi le temps qu'ça dure

Allergique à la vie, les matins sont obscures
Quand tout à un arrière goût d'déjà vu
Les nuits sont mortes tout le monde t'a abandonné, même la lune
Mais la fin du désert se cache peut-être derrière chaque dune

Tout va s'arranger, c'est faux, je sais qu'tu sais
Des fois j'saurai plus trop quoi dire, mais j'pourrai toujours écouter
Tout va pas changer, enfin, sauf si tu l'fais
Quand t'as l'désert à traverser, il y a rien à faire, sauf d'avancer
Rien à faire, sauf d'avancer

On en rira quand on l'verra sous un jour meilleur

 

 

 

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↑この間ノルマンディーに行ったとき撮った海です。この曲のPVもOrelsanの出身地のノルマンディーの海で撮られているようです。

 

ルアーヴルからバスでエトルタやオンフルールに行く方法

ルアーヴルLe Havreから、バスでエトルタÉtretat とオンフルールHonfleur に行ってきました。

調べても行き方に関する情報が出てきにくかったため、書き残しておきます。なお全て2023年12月現在の情報です。

 

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■エトルタÉtretatへの行き方

バスは駅前のバスターミナルGare Routière から出ています。13番。ちなみに路線バスなので、駅前からに限らずもちろん途中の停留所からでも乗れます。


◆時刻表

エトルタ行きはルアーヴルの街中を走るバストラムと共通の会社の路線なので、そのWebサイト上で調べるとわかりやすいです(時刻と日付で検索できる機能があります)。1時間に1本くらいありました。
Google mapで調べてもそこそこ正確な情報が出てきていたような記憶があります。


◆チケットの買い方、料金など

ルアーヴルのバス・トラムの1時間チケット(1.8€)で行けました。エトルタまでは30kmくらいありますがこれで良いようです。私はバス乗車時に運転手さんから直接買いましたが、トラムの停留所にある自動販売機でも買えます。ちなみに運転手さんから売ってもらったもののほうが観光客向けっぽいデザインでした。

乗るときにチケットを運転手さんの隣にある謎の機械にかざす(valider)必要があります。バス・トラムでするのと共通の動作。

 

 

■オンフルールHonfleurへの行き方

こちらも駅前から出ています。エトルタ行きのバスより本数が少ないです。終点がオンフルールではないので途中で降りることになりますが、大勢の人が降りる観光地なので心配いらないです。


◆時刻表

ダイヤはSNCFのアプリかWebサイトで調べるのが分かりやすく、確実です。Google mapで調べても謎のバス会社の一日2本しかない運行情報しか出てきませんでした。実際それよりは走っています。
ググると一応pdfでも時刻表が出てきますが、最新版でない昔の時刻表も平気でひっかかりますし、曜日などに注意が必要なので少し面倒です。


◆チケットの買い方、料金

バス乗車時、運転手さんにオンフルールまでと言えばOKです。2.9€でした。
こちらのバスはルアーヴルのバストラムとは違う運行体系下で走ってるようでした。県をまたぐからでしょうか。

 

 

以上です。簡単ですがこのページがどなたかの役に立ったらいいな〜と思います。

 

ホックニー展感想

一か月くらい前にMOTでやってたホックニー展へ行った。特に印象に残った作品中心に軽く感想を書きました。何か書こうとは思いつつなんやかんやで一か月もたってしまった。

存命の画家ということで著作権がしっかり生きている。問題なく画像引用する方法調べるのが面倒だったためリンク貼っときます。許してください……

 

◆”Hotel Acatlan: Two Weeks Later” (1985)

‘Hotel Acatlan: Two Weeks Later‘, David Hockney, 1985 | Tate

ダイナミックな絵だ。題材として選ばれているのはホテルの中庭にあると思しき回廊だが、立ち並ぶ同じ形の柱の部分部分がいろいろな角度から描かれていることから、きっとぐるぐる歩いて眺めたのだろう、と直感的にわかる。視点は回廊中のある一点に置かれてはいるが、見ているだけで静的な画面の中に織り込まれた画家の体験を追体験するようだ。もっともやや極端な遠近感の誇張やリトグラフの線的な表現が、アニメでスピードが出るときに用いられるようなデフォルメと似ていることも少しは効いているだろうか。
こういう画面づくりを見るとキュビズムとかセザンヌを思い出すわけだが、形式が踏襲されているだけで、やろうとしていることは違う。

 

◆"Christopher Isherwood Talking to Bob Holman, Santa Monica, March 14th 1983" (1983)
作品 ┃ 東京都現代美術館コレクション検索 (mot-collection-search.jp)

こちらは写真のコラージュの作品。ある部屋と、そこで流れていたある時間が立ち現れている(まさにタイトル通りだ)。ホックニー自身は(おそらく)友人たちと同じく机を囲んで椅子に座っていて、歓談の途中であちこちに目をやっている。すると友達が喋りながら、笑ったり真剣な顔つきになったり、いろんな表情をしているのが見える。顎に手をやったり、メモを取ったり、しぐさも変わる。瞬間瞬間に見えたものから印象を受け取り、それが頭の中で総合的に組み合わさった結果として、我々は人と接したことになるのだし、部屋で流れる時間の中に身を置いていたことになる。

 

◆"Walking in the Zen Garden at the Ryoanji Temple, Kyoto, Feb. 1983" (1983)

Walking in the Zen Garden at the Ryoanji Temple, Kyoto, Feb. 1983 (thedavidhockneyfoundation.org)

これもそう。個々の細部に目をやりながら歩くうちに、歩きながらでは一度も四角い庭として見えないにも関わらず、我々の頭の中では四角く庭の全体が捉えられている。

ホックニーの表現したいことの一つは、視覚を通じて/視界という有限のフレームをもって世界を捉えるとはどういうことか、ということなのだろう。彼の作品は内的な世界把握の感覚や視覚経験がよく表れているものが多い印象がある。

 

◆"In the Studio, December 2017" (2017)

‘In the Studio, December 2017‘, David Hockney, 2017 | Tate
一方大きく年代は下って、このスタジオを描いた作品は、個人的にはもう少し挑発的なものに思えた。大きな作品で、遠くから一見した感じいたって普通の部屋の写真か何かかと思うのに、近づいてちょっとよく見てようやく分かるくらいの塩梅で細部が歪められていて、視覚認識の脆弱性を暴いているように感じられたからだ(歪みを認知した後に再度離れて見てもやはり歪んだ部屋としては捉えられず、気味が悪かった)。中心で立っているホックニーもこちらを見ながら、どうしたんですか、今あなたがたが見ているのは「ぱっと見そのままの普通のスタジオ」じゃないですか、と主張しているかのようじゃないか?しかし別に離れて一見した段階でも十分歪んで見えると言われればそれまでなので穿ちすぎかもしれない。

ほかに人物の肖像描いた絵とかも良かったのですが文章に起こす気力とモチベがなかった。全体的にやりたいことと画面の説得力のバランス感覚に非常に優れている画家だと思いました。シンプルに絵が上手い。

 


あとこれは展示からは少しそれる話だが、最近は「見たものを見たままに描く」ことは本当に難しいのだろうなとよく思っている。もちろん単に写実的な意味としてではなく。自分が何を見ているか・何を見ていないか把握することの難しさと、表現に落とし込む難しさとに分けられると思う。これはいつの時代にあっても絵描きにとって大きな課題であり続けてきたし、これからもたぶんそうあるだろう。

 

久しぶりにピアノに触った

GWに実家に帰省してピアノに触った。昔はそれなりに弾いていたものだが、今や帰省時にたまに触れるくらいのものになってしまった。すっかり衰えた指で今かろうじて音を追えるのは二三曲くらい。いずれの曲も弾けるというほど弾けない。指がガチヴォチになっていて全く動かないんですよ。

 

久しぶりに曲を弾こうとすると、初めはなかなか指の運びが思い出せず、主旋律がかろうじて繋がるかどうかというくらいで、簡単な和音すら違う鍵盤を抑えてしまうし、ただぐちゃぐちゃの音を鳴らすような感じになる。しかしそれを何度かやっていると、指のほうで曲を思い出してくる。演奏と呼べるような演奏とは程遠いままだが、どの音を抑えればよいか、次はどこにどの指をどう運べばよいか繋がってくる。頭では何も思い出せないし覚えていないのに、指が曲の記憶を引っ張り出してくる感覚が面白い。一番初めに曲を習得する段階には必要なのかもしれないが、ピアノを弾くとき、頭で考えるというのは副次的なことなのだろう。昔発表会で演奏するときですら別のことを考えながら弾くことばかりだったし友人も同様のことを言っていた記憶がある。

 

ピアノに限らず例えば歩行や階段を下りる動作もそうだと思うが、あらためて考えるとできなくなるような、思考が立ち入る余地のない動作ってたくさんあるよな〜と思った。ピアノ少~し弾いただけでもいい感じに脳がグニャグニャになったので、そうした動作に自らを任せることの愉しさっていいものなんだな~、ふだん生活する中でもこの良さを忘れないでいたいな~、とおもいました。そんなGWでした。

 

共感覚について

音に対して、触覚や形状が対応づくタイプの共感覚がある。形状は端がしっかりしていないこともあり、平たいところに空いた穴のように感じられる時もあるので、どちらかといえば「表面」のようであることもあるが、それぞれに感触がある(実際に手やどこかの肌で触っている感覚があるのではなくただ「わかる」だけだが)。人の声、楽器、車の音、床がきしむ音、全て異なっている。ハスキーボイスの触り心地は軽石に似ている。温かい部屋に置いておいたチョコレートのように濃厚な声の人もいる。オーボエの音はつるつるしたゴム製のリボンのようだしピアノはよりまろやかで、すべすべしてはいるのだがクリームのようでもあって例えがたい。強いて言うならきれいに絞り出されて固まったあとの、きめの細かい絵具のようかもしれない。また地下鉄の車両が停止するときにたまに立つ高く長い音は、裂けかけのビニール紐のように感じられる。
共感覚の一つに音と色が対応づくというものがあるが、個人的には色については、わからないことはないがあまり明確ではない。たとえばラは赤から茶として、シ♭は青緑として映ることが多いので、まったく対応づいていないわけではない。ただ調によって同じ音でも色が異なることがあるし、だいたいはメロディの全体でカラーパレット的なものが総合的に感じられるくらいのものだ。個々の音にフォーカスしようとすると色がぼけたようになって定まらないことが多くある。例えばイ長調のスケールは茶色~赤~濃ピンクのグラデーションのように感じられるが、その中でレやミ単体が何色かというのは全く分からない。ファ♯はなんとなく薄い紫のような、ソ♯はなんとなく薄い青からエメラルドグリーンであるような気がするが、先ほどの落ち着いた色のグラデーションからはかけ離れたパステルカラーで、一貫していない。もし音と色がきっちり対応づくならば、視覚も併用した精密な調弦ができそうで便利だろうと思う。
また人の声の色は分からないことが多い。町中の騒音はだいたいグレーがかって感じられるのはさまざまな音が一定せず混じっているからだろうか。明度についてははっきり対応があって、高い音ほど明るく、低い音ほど暗く感じられるのだが(モスキートーンは非常に明るい、「可視域の閾値ぎりぎり」のような眩しさとして認識されるので面白い)。

音楽を聴いているときは聴覚に意識が向くからかつられて共感覚も表に出てきやすい。音とともに通り過ぎていくかたちをぼんやりと見たり見なかったりしている。歌詞がある曲だと歌詞の内容に意識が引っ張られるが、それでも、聞きながらボーカルの人の声音を中心に曲全体の感触を拾っている。本を読んでいるときに文字のフォントが意識される感覚に似ているかもしれないが、それよりは言葉そのものの理解に集中していないからか、目立つ部分を中心にどこかしらに目をやっているような気がする。またコンサートに行きオーケストラの演奏を聴くときなど、音と真正面から相対するときはとりわけ意識が向く。さすがに感触の良さや見栄えのみによって心動かされるというようなことはないが、音楽とともに、自然と金管木管やいろいろな楽器の奏でる音の形や感触が次々流れる。バイオリンやビオラの音色の層はだいたい面積が広く映り、羽でできた浅い小川のようで、寝っ転がりたい。かなり夏の布団に欲しい。海辺に連なる丸い石のようなピアノの和音には目立たないながらも胡椒の実みたいな確かな存在感がある。シンバルの音は眩しくよく目立つ。感触としては辞書を開いたとき斜めに連なる大量の薄い紙の断面が粉へと崩れていくみたいな感じだが、たいていその一瞬の眩しい白さのほうが強烈な印象で通過する(一瞬白く光った後すぐ黒ずみ褪せるように消えていく)。
さらに演奏前の調弦の時間は面白い。あらゆる楽器が同じラをもとに一斉に鳴らされるので、それぞれの音の味わいの違いが一望できる。滑らかな羽のようなバイオリンの音、柔らかい鉛筆の芯のようなコントラバスの音、硬質で縁がはっきりしたトランペットの音、細くふわふわした穂のようなフルートの音が、向きを揃えて混じり合いながら流れる。様々な材質をひとところに集めて撚られる太い糸の生成過程を見るようで味わい深い。そしてつるつるしたオーボエの音がその中に、細くともしなやかな幹のようにしっかりと通っている。なるほどこの楽器の音が基準として選ばれるわけだと納得する。どことなく鶏肉の筋を思い出さないでもない。白くてなかなか包丁で切れないやつ(あれ毎度本当に切れないのだがどうにかしてほしい)。平たくて形としてもけっこう似ている。ただもちろんあそこまで有機的ではなく、もっと乾いていて個として超然としている感じはあるが。

視界に重なる形でこれらの形状が見えていたり、実際に触れているように感じられたりするのではない。が、それらの形状は確かにわかるし触れたらどんなふうかというのもわかる。この音の形状や触り心地はきっとこうだろうと想像ができるというのではなくて、耳で捉えられた音が「聞こえる」ように、頭の中で直接的に把握される。実際に見えて/触れているのと同じ部分が活性化しているのだろうか。
おそらくとても幼い頃からこの感覚はあったと思うが、衝撃音は凹面であることが多いような気もするし、好きな曲であるラ・カンパネラの嬰ト短調のメロディーはこれも好きな色である青っぽいグラデーションとして映るので、案外後天的に獲得されたものなのかもしれない。タイピングの音はキーボードのキーの形に似ているような気もするし、何か曲を聞くと、その曲の断面図(ほとんど瞬間的な音の重なり)のようなものが流れていくように感じられるのは、譜読みの概念と無関係ではないだろう。ただ、いつでも感覚として開かれているけれど意識を向けない限り拾われないところは五感と同じである。五感のミックスではあるのだから当然かもしれないが。

この感覚についてはあらためて書くこともなかったのだが、先日現代音楽を聴いた際に非常に美しいコンポジションのようなものが感じられて強く意識したのと、また軽くググってみると触覚と音が対応づいているケースはやや珍しそう(?)なのとで、1サンプルとして記録を残すのもよいのかもしれないと思い、書いてみた。何か纏まった文章を書きたい気分だったというのもある。

ちなみに似た共感覚保持者で、私のものよりずっと強烈に、触覚から逆に音を想像できるくらいに密接に、触覚と聴覚が結びついている人の書いた記事があった。(どこかで見かけたはずで、リンクを張りたかったのだが今ググっても出てこない。夢?ニューヨークのドラマーの方だったはずだ。)その方はオノマトペを使う中で習得されたものではないかと書いており、似た共感覚でも全く違ってとても面白い。私が音を聞いたときに感じられる触覚はオノマトペ的な言語で区切れるほどきっぱりとしていないし、図像的なイメージが付随するところからも、視覚が媒介しているのだろうと思う。いずれにせよ、原初的なものに思われる感覚が後天的に立ち上がりうるというのは不思議な感じがする。ちなみにその記事を書いた方は、べたべたするといった音の粘度や、触れたときの温度の違いまでも感じられるそうで、なんというかすごくダイナミックだ。熱かったり冷たかったりって結構大変なことじゃないか?個体液体の差がいちいち襲ってくるというのもかなりのことであるように思う。音のあふれる日常を、いったいそんな感覚とともに生きるのはどんなふうなのかまったく想像もつかない。とここで書くのは、わざととぼけてオチをつけようとしているみたいになってしまうかもしらんが、真面目に……。