弘南バス冬季時刻表の終点到着時刻はかなり余裕のある時刻です

 

吹雪の日に時刻表上で終点8:30着予定の便が8:20に到着しました。

冬季時刻表は終点だけ遅延込みの到着時刻が書かれています。だから次に別の電車なりバスなりに接続したいときは基本その記載時間で考えていいと思うぜ!

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この赤い枠内の時刻の話です(時刻表のソースはここ、2022年2月現在)

 

こういうことなんだと思います。↓

雪など道路状況の悪い中を走ることで発生する遅延があらかじめ組み込まれているということです。

時刻表の全体を見てれば気づきそうことなんですが、終点以外全然見てなかったのと遅延込みの時刻表に遭遇したことがなかったのとで全っっっったく気づかずゴロゴロプ〜としていました。もしかしたらそういう人が私以外にもいるかもしれないので備忘録的に書き残します。

 

この記事で言いたいことは以上でおわりで、以下の話の内容はないようです。

 

2/21

コロナの勢い衰えぬ世の中ですが、最後の長期休みということで東北に行ってきました。

概ね晴れで良かったですが最後の一日だけ爆裂巨大低気圧が直撃し、

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五所川原駅に行ったら津軽鉄道が運休していました。

雪に滅法強いという噂を聞いていたし、弘南バスは動いていたし、あとストーブが載っていてなんか強そうだからどんだけすごい天気でも止まらないと信じていたのに……

津軽鉄道様におかれましては運休が決まり次第その旨をホームページに載せるかTwitterを更新するかしてください。お願いします……。

 

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エルムの巨大駐車場を走行するバスから撮った写真 ヤマダ電機が霞んでいる

断続的に止みはするものの基本的にずっと横殴りの吹雪でした。とにかく風がすごい。煙みたいな雪が強烈に吹きつけ続けるので窓の外が真っ白です。ホワイトアウトってこんな感じなんだぁ〜とおもいました。暖房が効いてるバスの中から乗客として眺めるぶんには楽しかったですが、運転手さん大変だっただろうな……

 

それはそうと5所川原に行くときの話。

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冒頭にも載せた弘南バス弘前五所川原線の冬季時刻表です。

この日は元々中泊町営バスで小泊の方まで足を伸ばす計画だったため、五所川原駅9:35発か10:40発の津軽鉄道中里駅まで運ばれたい計画でした。

宿泊地の弘前五所川原駅の移動手段はJRか弘南バスかの二択になりますが、乗りたい津鉄の出発時刻周辺に繋がる(比較的まともな時刻の)便は弘南バスしかなく、

①8:30着(弘南バス)→9:35発(津軽鉄道)

②10:30着(弘南バス)→10:40発(津軽鉄道)

の二択ロースでした。

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このどちらかですね。

①はさすがに無慈悲なので気持ちとしては②に乗りたい。が!津軽鉄道との接続時間が10分しかないです。バスは遅れるもので、いわんや2月の路面状況で走るときをやです。遅延に加えて窓口で切符を買う時間も考えるとたぶんたった10分では接続不可能と思いました。旅程は崩壊しなければ崩壊しないほど助かります。すると①でいく鹿内。

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三戸郡五戸町鹿内

鹿内んです。そういうこともあります。というわけで当日①の、時刻表では8:30着予定の弘南バスで五所川原に向かいました。

が、実際乗ってみるとついたのは8:20。

いや10分前につくんか〜い!じゃあ②でもよかったやんけ!ズコー!でした。(このあと津鉄運休を知りズコー2が発生する。)

吹雪で道中かなりゆっくり走行しており、実際時刻表に載ってるバス停の鶴田診療所前あたりで確か20分くらい遅れていました。でも定刻マイナス着。冬季時刻表の終点到着時刻は相〜当に余裕を持ったものが記載されています。こんな真っ白ヤバ天候の日でも-10分だったので、晴れてて条件が良い日なら-20分とかで到着するんじゃないでしょうか。

なのでたとえば弘前前泊で朝っぱらの冬季ストーブ列車を狙うときは、②の五所川原10:30着(弘南バス)→10:40発(津軽鉄道)の10分接続でも全然いけると思いますし(津軽鉄道が動いていればの話ですが)、弘南バスの他の路線使うときも同様で、終点からどこかに接続考える場合はよっぽどのことがない限り結構余裕ありますよという話でした。それこそ上のツイートで言及されてる五所川原〜青森線とか。奥羽線青い森鉄道に接続したい人とか結構いるのでは?

でもそういう人のほとんどは自力で気づく気もします。というか五所川原駅8:30の前がエルム7:45ってここだけ幅がおかしいのよ。時刻表はよく見ようね……

 

それはそうと朝のバスターミナルで暴風に飛ばされながら弘前駅の方を見ていたら、弘南鉄道が定刻通り平然と出発していくのが見えました。青森の鉄道はぜんぶ弘南鉄道が運営したほうがいいと思います。

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本当にそう思うワニ

 

 

 

 

 

 

 

「美学における理論の役割」メモ

 

「美学における理論の役割」という論文のフィルカル1-2に載っている翻訳を読みました。読んでも0.000002秒で忘れるので適当にメモを残しておくことにしました。専門教育を受けていない素人の走り書きなので本来そのへんのチラシの裏でやるやつです。

変なところがあればちがわい!って指摘いただけると猛烈に助かります。

 

 

◆よんだもの

私が読んだのはこれにのってる翻訳ですが,元論文はここ(https://doi.org/10.2307/427491)とかに載っています。

 

 

◆骨子とメモ

・さまざまな理論家によって「芸術とはなんたるか」が論じられ続けてきたが,その問いははたして十分な答えを得ることが可能な問いなのか?既存の理論のどれもが,他理論の主張を否定し,退け,他とは異なる点こそが芸術の本質であるのだと定義づけているが,どれも完璧ではない。それは必要十分条件的な定義を問おうとする姿勢こそがまちがってるから。

・既存の理論五つの概観がある。(直観主義者(クローチェ)のとこよくわからなかった。論理でやっていけることがらの手前にある言語化できない部分を表現することが芸術だ〜みたいな感じか?)

・それらの理論は内容以前に芸術に対して閉じた形での定義を試みているというところがそもそも不適切。

・芸術が開かれた概念であることが説明される。ウィトゲンシュタインのゲームとは何か?の問い、家族的類似の概念。

・芸術とは何か?を知ることは,「芸術の本質」なるものを理解することではなくて,芸術を見分けることができること,それらを説明できること。新しいものが登場した時に,それが芸術であるかどうかはそこでなされる決定/判断に依存する。

・閉じた概念・開かれた概念の説明。

・「Xは芸術である」という発話について。記述的用法と評価的用法とがあり,前者はいいが後者が問題。「Xは芸術だ(訳:Xって(Pだから)良すぎ)」という称賛しか意味していない言葉が,「X(の満たしている性質P)は芸術だ」的に(なぜか)使われて論じられがちなことが問題。そもそも「Xは芸術だ(Xに対する称賛)」という言葉は「性質Pを満たすものこそが芸術だ(Pに関する説明)」にはなりえないし,性質Pを満たすからという理由でXをほめてたとしても,なぜ性質Pを満たすことで「Xは芸術だ」と言われるのかの説明になってない,という二つの問題がある。この節理解がややワヤっている。

・芸術であるという言葉の評価的用法に芸術に対する条件うんぬんが絡みがちなのは、そこで評価基準を見分けの基準に用いてしまうという転倒が起きているからである。ところで,これまでの芸術理論で行われてきた定義は,実在的定義のような見た目をしているが,実際はそのような転倒の上になされた敬称的定義である。(だから実在的定義としては不適切で、OPEN概念を閉じた枠で定義しようとすることとは別に問題である。)(既存のもの全てがそういう形の定義なのか?という疑問はあるけど、そうでしかあれないような学問だろうなという気もする)

・それでは既存の美術理論がなしてきたことは無意味だったのか??違うねッ!!!これまでの美学理論が「定義」として各々主張してきたことはdebateだ!字義通り定義を行ってるというより,芸術に向きあうとき我々が何に注目すべきなのかという推奨の提示をしてるんだ!だから……無意味じゃないよ。(こことても愛……。)

 

 

◆KANSO~

・古典的な芸術,というか19世紀までの西洋画ばかり見てきて,現代の美術作品は古典作品と比べてわからな度が爆高なのでどう向き合えばよいかずっと迷っていた(もっとも西洋画についても表層をサワサワしてるだけでわからん点は無限にあるわけですが,それはそれとして)。折り合いをつけるためにどうしても古典と現代とをなにか統一的な「芸術」みたいな尺度のもとで取り扱わないといけない気がしていたので、発想のグルグル転換を得てすげ〜〜〜になりました。

・面白論文読んでフムフムするやつ楽しい。面白論文情報を24時間募集しています。

・おわり。

 

 

 

 

 

◆さっき開いた大学のアンケート画面

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2者択  1

 

 

 

 

 

 

雨の日にロクな進捗を生んだ試しがない。

まず目が覚めて雨音が聞こえると雨かぁ……とゲンナリ、カーテンを開けて雨降りを確認し、やっぱ気のせいじゃなかった……と2ゲンナリ。濡れるのもなんかいやだし外に出られない。気分転換しようにも散歩もできないし、呻いていると気圧のせいかどことなく頭も痛くなってくるし眠くなってくる。眠いなら寝とくか!で昼寝したりクネクネしたりしているといつのまにか夜になっている。夜なので夕飯を食べて寝る。一日終了!終わり!

ところで梅雨という季節はガチで毎日雨が降ります。というわけで毎日上記の虚無ルーティーンを強いられる。強いられるというのがミソ。おいおい雨〜笑 困るじゃあないか私はこんなにもやる気があり余っているというのに!雨さえ降ってなきゃな〜

 

課題は出すぎ。量が常軌を逸している。と思いきや同期の優秀な人は涼しい顔でこなしているので単に私のキャパがないだけっぽいです。

 

そーめんは1束100gタイプのものをえらべ

一束100gの素麺を食べるだけで幸せになれる。80gだと5分もたてばもう消えている。これを100gにすると結構違う。1.25倍にしただけなのに体感で10分は持つ気がする。(麺量と消費時間の相関が線形的ではないことが示唆される)10分あったらもう味わい放題じゃないですか。冷たくて口当たりもよくて完璧の食べ物を。味わい放題!ツルツル!!最高!!!!!!!

 

ところで鍋の中で生じていた対流の形のままお皿に盛ると、ちょうど口に運びやすい束に分解しにくく、つゆのお椀のなかに一気にかなりの量が運ばれることになる。仕方なくその箸のままいただくのですが、当然一口で食べきれるはずもない。このとき素麺が蜘蛛の糸に見えてくる。箸にごそっと抱えられたたくさんの細〜い麺の一本一本に、おぞましい形相の罪人が必死にしがみついているのを上の方から見ている。そしてその無数の命綱を……一気に口に運び……そのまま噛みちぎるのだ!!!(行儀が悪くてすみません)口に入らないから!!ばっさりと!悪いな。グヘヘ……。そうめんのおいしさですぐさま存在を忘れられてしまう罪人たち。100gが消費されおわるまでこれが延々と続くのだ。救われるかと思いきや落とされる。しかも拾われた先が胃の中。いったい何人の罪人がこんな辛い思いを繰り返すのか。哀れな……。